3.11

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東日本大震災から1年が経った。僕は今日という日を、ごく普通に過ごしてみた。

Twitter や Facebook といった媒体を通して、この1年そこまで多くこの話題について触れたことはなかったのだけど、やはりどうしても胸の引っ掛かりのようなものがあったので、あまり目立たないここに書く。
大きすぎる災害に、持ちうる言葉がなかったというのもあるけれど、関東に住む僕にとっても、この災害が小さなものだったわけではない。だけど僕があまりこの話題に対して語る事ができなかったのは「東京の人」である事の負い目のようなものがあったからのように思う。

その瞬間、僕は会社で会議をしていた。オフィスが7階だったこともあり、今までに感じたことのない揺れだった。翌日まで会社に泊まり、明け方頃には被害の中心はココではないこと、とてつもない事が起きたのだということがわかってきた。そして、福島第一のことが起きた。

首都圏に住む人間として、「3.11以降」に感じるのは、さまざまな隔たりだ。僕自身にとっては、世代間の隔たり、そして地方と首都の隔たり。それが大きく感じられた。
混乱する首都圏の交通や電力。その中でひときわ大きな声で駅員を怒鳴り散らし、水を買い占め、輪番停電への不満を口にするのは、いつもいわゆる団塊の世代とよばれるオジサン達だった。一方で、やはりひときわ大きな声でキレイ事を言うのも、同じ世代の人たちだった。改札口で駅員を延々と怒鳴り散らすオジサンを冷ややかな目で見る若者の姿は、今でも印象深く残っている。

もう一つは、地方、特に東北と首都圏の隔たり。これも世代間の隔たりと本質は同じだ。首都東京の交通マヒ、帰宅難民を嬉々として伝えるメディア。放射性物質の降下について右往左往して騒ぎ立て、被災地をよそに通信インフラの帯域を占有する「東京人」。それを冷ややかな目で見る地方。さらにその罪悪感を埋めるための様々な「自粛」。

僕は一方では冷ややかな目で見る側に立ち、一方では冷ややかな目で見られる側に立つことになった。
9.11以降、「アメリカ白人」であることが恥ずかしいという価値観が生まれたように、僕らもまた、「厚顔無知な東京人」であることへの、ある種の恥みたいなものを抱えて生きている。

今日だって、東京人が1年前の出来事を語ることがはばかられる空気が存在してる。
僕自身はそれを是とは思ってない。みんな1年前にはそれぞれの「怖い体験」があったはずだ。それでもやっぱり、語ってはいけないような負い目がどこかにあるのだ。
この大きな隔たり対して、何が必要なのか、何を持つべきなのかの答えが、今自分の中にない。「多くの地方を犠牲にして成り立つ街、東京」なんて話、突き詰めれば自給自足の狩猟生活にも戻りますか?という話になってしまう。そんな話に意味がないことはわかってる。

ただ、あの日以降様々なことに感謝して生きるようになった。これは、自分の中では大きな変化だった。

「あの日から1年」なんて言葉は、被災地にとってはなんの意味も持たない のかもしれないけど、それでもこの場所で暮らす僕らにとっては、1年という節目で物事を整理することは、十分すぎるほどに意味があった。

出来うる限り、正しく生きたい。

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    これからも現地に負けぬよう頑張る。ただそれだけ。