箱庭で文化は華やぐ —その1—

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最近、僕そのものの焦点がブレてきているのが分かる。
自分に行き詰まると、僕は大体は何かに怒っていて、時々ふと何気ない事に感動するという状態になる。
僕は退屈な人間である。
でも何かをここに殴り書きをしないと気がすまない気分なのである。


僕は僕の箱庭の中でしか文化を語れない。
そりゃあ僕の目の届く範囲なんてクソみたいなもんだけど、それでも一般論に置き換えるよりは幾分かましだ。
今日は、帰りの電車で珍しく座れて、iPodのスイッチを押すとU2が流れてきた。
僕のイヤホンはとってもいいやつなので、装着すると耳栓みたいに周りの音は一切聞こえなくなる。
ジ・エッジのファンタスティックなディレイがかかったギターカッティングが聞こえてくるだけで、僕はいっつも泣きそうになる。
彼らの音楽は祝福に満ちあふれてる。
スタジアムツアーをこなし、巨額の制作費でアルバムをレコーディングし、
コマーシャリズムと刺し違えてもなお、その輝きを、魂を失わなかった唯一のバンド。
決して引きこもったりしない。全てを祝福するモンスターバンドU2。
彼らはいつもポジティブに、ただ美しい世界を観に行くために、戦ってきた。
人は何故コマーシャリズムと戦うんだろうか?金持ちの論理で話が進むか?先進国が第三世界からの搾取を押し進めるから?
もちろんそれにも大いに怒らなければいけないんだろう。
でも本当に僕らが怒っているのは、音楽や映画みたいなものをすべてコンテンツとしてパッケージしているからだ。
アートはコンテンツじゃない。IT’S NOT CONTENTS BUT ARTS!!なんてどこかで聞いた事があるけど、
あのキャッチコピーを考えた時も、僕がずっと考え続けてきたその事を、どうにかあそこで具現化したかった。
僕たちは消費という形で、この世界から文化を買っている。
消費という文化がもはやとっくに存在していると言う人もいるだろう。
でも僕はそんな事は絶対に認めない。ロジカルじゃないと言われてもそれは構わない。
世の中には、その後ろにある文化や哲学や愛を感じられる作品とか製品なんて、実は結構あるもんだ。
なんでみんなもっと目ェ見開いて見ようとしないんだ。
よく周りを見渡せば、人それぞれに少しずつあり方は違っても、心の通ったものっていっぱいある。
たとえ大量生産されてても、その後ろに何かが感じ取れるものだってある。
それを上から無駄な努力とせせら笑う奴らもいる。
“買う”という行為に、もう少し意識的になった方がいい。
“買う”っていう行為だけで、世界をもっと美しくできるって事にもう少し。
・・・・・病んでるなぁ。文章に一貫性がないよ・・・。

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